「小さくも強い赤ちゃんの世話を一身に担うことで、親の脳にどのような変化が起こるのかを科学者たちは数多く明らかにしてきた」と話すのは、ピュリッツアー賞を受賞したジャーナリストのチェルシー・コナボイさんです。妊娠と出産によって、親の脳にはどのような影響があるのでしょうか?今回は、チェルシーさんの著書『奇跡の母親脳』から、人類の脳と育児の謎に迫ったレポートを一部ご紹介します。
【書影】親になると、脳が変わる?!脳科学研究の最前線からの衝撃レポート! チェルシー・コナボイ、竹内薫『奇跡の母親脳』
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◆子育ては母親だけのものか
赤ちゃんと親は足並みを揃えて成長し、互いに反応しながら社会的な神経回路を変化させていく──これは母子の絆の絶対的な重要性を裏づけていると解釈できるかもしれないが、もしそうなら、赤ちゃんは母親の腕の中でべったり一緒にいなければならないという結論になるだろう。
だがこの論理には根本的な問題がある。今日、働きながら子育てしているほぼすべての親、特に複数の子供がいる親が直面している問題だ。つまり、親の注意が分散せざるを得ない。これは人類が進化を通じてずっと直面してきた問題でもあり、むしろ人間の本質の中核をなしているといっても過言ではない。
哺乳類の赤ちゃんはほぼ無力な状態で生まれてくる。そのため彼らは生存に不可欠な大人を引きつけることに非常に長けている。赤ちゃんの愛らしい特徴やサイレンのような泣き声は大人の動機づけや反応性、自己認識を司る神経回路を活性化させ、変化させる強力な刺激となる。彼らは訴えかける。「目をそらさないで。面倒を見て。私たちが生き残ればあなたたちが生き残ることにつながるの」
ほとんどの哺乳類(すべてではない)で、赤ちゃんは自分を産んだ大人と完全に結びついている。非ヒト霊長類では約2割で母親の手助けをする大人がおり、赤ちゃんを抱いたり食べ物を与えたりする。しかし、特に協調性のある一部のサルを除けば、赤ちゃんの生存を支える上でサポート役が果たす役割は比較的小さい。結局、母親による世話が圧倒的な部分を担っているのだ。
◆人類の社会性が発達した鍵
およそ200万年前、前期更新世かそれ以前に、人類の祖先は他の霊長類から重要な点で袂を分かった。より短い間隔で子を産むようになったのだ。最初の子が自力で食事をしたり身を守ったりできるようになるよりずっと前に、2番目、3番目、さらには4番目の子を妊娠するようになった。
人類学者クリスティン・ホークスは指摘する。「人間の赤ちゃんは生まれながらにして、母親の全面的な関与を受けられなくなった」。赤ちゃんは母親以外の大人に頼らざるを得なくなった。他に選択肢はなく、さもなければ生き残れなかったろう。
逆の見方もできる。人類の祖先は、子育ての支援がなければ短い間隔で子供を産めなかったはずだ。こうした出産の仕方こそ、繁殖成功率を劇的に高め、人類を地球上で最も優勢で、最も社会性が発達した霊長類にしたのだ。
初期の人類では、母親はとても重要だったが、母親だけでは到底十分ではなかった。自然選択により、養育者の注意を巧みに引きつける赤ちゃんが、また女性に限らず、すべての大人が赤ちゃんの呼びかけに強く反応する家族が優位に立った。多くの霊長類に社会性があるが、母親以外の大人への赤ちゃんの顕著な依存こそが、人類をここまで協調性の高い生き物へと進化させた鍵だと一部の著名な人類学者は唱えている。
この依存関係が、社会生物学者エドワード・O・ウィルソンが初めて提唱した「親代わりによる子育て(アロペアレンティング)」(“allo-”はギリシャ語に由来する、「他の」を意味する接頭辞)への道を大きく切り拓いた。現在の多様な家族形態を可能とし、親の脳の研究者が解明しつつある神経生物学的な変化のパターンを促進した。研究結果は親たち──実の親か否か、出産経験の有無にかかわらず──に神経生物学的な共通点があることを浮き彫りにしている。
すべての大人は養育者として成長する能力を備えている。実の親でなくとも、子育てで脳が根本的に変化する。そしてその変化の多くは持続する。親としての行動がいつか他の子供たち──将来生まれる子や甥姪、近隣の子供、中でも特に重要な孫──に利益をもたらす可能性が高いからだ。
◆母親の脳の変化の発見
脳の変化が持続するのは、生存戦略として優位に働くからかもしれない。エルスライン・ホクゼマが語るところでは、もし親が「ずっと育児モードにあり、孫が生まれた時にも活性化されたままであれば」、孫は進化の過程で優位になる。少なくとも、人類の初期の段階においてはそうだった可能性が高い。
ホクゼマはアムステルダム大学医療センターに新設された研究室の所長を務める神経科学者だ。博士課程はバルセロナで、神経可塑性の様々な側面をエリカ・バルバ=ミュラーとスザナ・カルモナという二人の女性研究者と研究していた。ホクゼマも二人も母親になることを考え始めており、母親になると脳にどんな影響があるのかという好奇心から、妊娠前後の脳の構造的変化を調査する研究を立案した。
3人は妊娠を希望するカップルを募集し、最終的に25人の初産婦と、それよりやや少ない人数の初めて父親になる男性、子供のいない男女を研究対象とした。他のプロジェクトと並行して進めていたため、研究には5年以上を要した。ホクゼマは主に高齢ラットの脳と人間の神経発達障害に関する研究をしながら、並行して母親の脳の研究を進めた。このプロジェクトには当初、資金がなかったのだ。
2016年に研究結果が初めて『ネイチャー・ニューロサイエンス』誌に掲載された時、彼女は第2子を妊娠中だったが、世界中から取材が殺到した。妊娠が脳に長期的な変化をもたらし、出産直後の睡眠不足に悩まされる数ヶ月間だけでなく、何年にもわたって変化が持続することを実証した初めての研究だったからだ。
妊娠前後の脳スキャンを比較した結果、母親の脳の灰白質の体積が著しく減少していることがわかった。それは特に社会的認知に関わる領域で顕著だった。体積変化は非常に明確で、コンピュータが女性の出産経験の有無を正確に判別できるほどだった。
◆赤ちゃんの写真を見た時の反応
ホクゼマたちは母親が自分の赤ちゃんや、他人の赤ちゃんの写真を見た時の脳の反応も測定していた。自分の赤ちゃんを見た時に最も強い神経活動を示した複数の領域が、妊娠中に最も顕著な灰白質の体積減少を示していた。この体積減少は、機能低下を意味するのではなく、むしろ社会的認知に関わる脳のネットワークの「さらなる成熟や特殊化」を表しているとホクゼマたちは解釈した。新米の母親たちは体積減少が大きいほど、愛着度を測定するアンケートのスコアが高かった。
報酬系の一部、側坐核を含む腹側線条体の変化の詳しい分析では、より大きな体積減少を示した女性が、自分の赤ちゃんの写真に対してより強い反応を示した。彼女たちは次のように結論づけている。
「研究結果は、女性が母親へ移行することをサポートする社会的な脳の構造が、適応的に洗練されていくという初期段階の証拠を提供している」(ちなみに初期の分析では、パートナーの妊娠前後にスキャンした父親の脳に体積変化は見られなかった。ただしこの時、男性たちは出産後2年の時点ではスキャンされていなかった。後の分析では、心の理論に重要なデフォルトモードのハブである楔前部の体積と皮質の厚さの減少が確認された)
最も興味深いのは母親の脳の変化が長期的なものであるかもしれないことだ。親になって2年後、再度スキャンを受けた一部の母親では、灰白質の体積減少がほぼ維持されていた。出産後6年でも、フォローアップを行うと、ほとんどが体積減少を持続し、さらに愛着度の測定値と相関していることが確認された。研究者たちは「これらの発見は、妊娠によって引き起こされる脳の変化が、永続的である可能性を示唆している」と結論づけている。
引用元:
母親になると、脳にどんな影響があるのか。妊娠前後の脳スキャン比較、赤ちゃんの写真を見た時の反応…研究から分かった可能性とは(Yahoo!ニュース)